瀬戸内国際芸術祭2013で建築をつくる(石井大五+フューチャースケープ)


by 石井大五+フューチャースケープ建築設計事務所

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伊吹島とはこんなところ 伊吹航路

   →伊吹島とはこんなところ

江戸時代には、上方から大分に向かう船が寄港していたという伊吹島。しかし、時代は変わり、もう1世紀以上もの間、対岸の観音寺との間にしか、定期船が通わない島となりました。正確に言えば、昭和30年代、半年ほどで廃止となりましたが、観音寺航路とは別に、豊浜に向かう航路もあったので、その時期を除いてですが。
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現在の島の人口は633人、約30年前の昭和60年(1985年)は1624人、そして、もっとも人口が多かったのが、57年前の昭和31年(1956年)の4448人。

そして、伊吹島と本土の観音寺港を結ぶ現在の渡船は1日4便、30年前の昭和60年(1985年)も1日4便、そして、57年前の昭和31年(1956年)の翌年になりますが、昭和32年(1957年)も1日4便。この年、船の新造を機に、1日4便の運航が始まりました。
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昭和30年代は、島にもいろいろな施設がありましたし、現在ほど、島民のモビリティーが高くなかったとしても、7倍の人口を考えれば、現在と同じ便数だったとは、不思議な感じがしませんか?

ちなみに、渡船とは乗客のみを運ぶ船を差し、車を運搬できるようになると、フェリーと、洋風の呼び名になるようです。
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その当時、伊吹航路の便数が少なかった理由は、実は、島が豊かだった故のようです。
対岸の観音寺や伊予三島に買い物や遊びに行くのにも、家を建てる際に買い込んだ建材を本土から島に運ぶのにも、各人が自分で船を出して行ったり来たりしていました。
陸に例えれば、自家用車が発達したため、公共交通のバスの便が悪いという感じでしょうか。
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ただし、働き手が多く、船を簡単に出せる時代には問題がありませんでしたが、高齢化が進んだ現在は、各人が自家用船で買い物に行くこともすたれ、かと言って、今となっては、市営の渡船が、便数を増やすことも、赤字の関係もあって難しく、離島の生活に影を落としています。

そして、もう一つ。瀬戸内海の入口に近い高松あたりに比べて、中央に位置する伊吹島周辺は、瀬戸内海でも干満の差の大きな場所で、季節によっては、最大4mになるそうです。それに対する港湾設備の負担の大きさから、大きな荷物の運搬が容易で、車や工事車両も載せられる大型フェリーの就航も、実現できていません。瀬戸内海のこの規模の島で、大型フェリーが就航していないのは、伊吹島だけ、という話もあります。
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現在の船「ニューいぶき」は、大正3年(1941)の1代目から数えて15代目。それ以前は、手漕ぎの船で往復していました。
船は、おおよそ20年弱で新造されるので、建造された平成6年から逆算すると、「ニューいぶき」の引退も、そろそろのようです。
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「ニューいぶき」は、伊吹航路で、それまでのスチール造から、アルミ造になった初めての船です。
乗船人員300人。船体も軽く、スピードは17ノット(31.5km/時)に上がり、観音寺から伊吹島までの時間も5分早まって25分、燃費も向上しました。
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しかし、誤算だったのが、船体が軽いために、荒天に弱くなり、以前に比べて、冬季の欠航が増えたことです。2,3日欠航が続くこともあるそうで、そのために、島に住んで、観音寺に通勤するのが難しくなった、という方もいます。

瀬戸内国際芸術祭の会期中にも、晴天で大して荒れてもいないのに、欠航となる日がありましたが、軽量のアルミ船ゆえの宿命で、波の高さのハードルが、かなり低いのです。
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さて、瀬戸内国際芸術祭が伊吹島で開かれることになり、画期的なことが起こりました。
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半世紀の間、1日4便で、それ以上増便するとは考えられなかった船のダイヤが、会期中だけとは言え、改正され、1日6便となったのです。
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島に仕事で来て、もう1便増えれば、訪問客も島民も、本土との行き来がしやすいのにと感じていましたが、一挙に2便増え、使い勝手のよさを実感することとなりました。

そして、もう一つのサプライズは、会期中に島を訪れた観光客による満員御礼の運航により、航路事業の大幅な赤字が、かなり補填されたこと。3年に1回とは言え、芸術祭が、船の「助け船」になりそうです。
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1隻で、本土と島を往復している航路の悩みは、定期点検。毎年梅雨時になると、「ニューいぶき」は、ドックで点検を受けるため、飛んでもない金額を払って、代船を頼まなければなりません。

ある日、港に立つと、やって来た代船「めおん」号の船体には、「高松ー女木ー男木」と記されていました。高松港から女木島を経て、男木島に到る航路を運営する雌雄島海運が代行しているのです。
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図体が大きくなった割には、乗船人員は減り、重いスチール船だけあって、運航時間は10分長くなりましたが、大型フェリーのため、この期間に限り、車も自走で運搬できます。
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6月半ば、ドックの定期点検から「ニューいぶき」が戻って来るのを見届けると、入れ替わりに、「めおん」は伊吹航路から去って行きました。「めおん」が母港に戻るその時だけ、1年に1度、伊吹島から、島々を抜けて、高松経由で、女木島と男木島に到る幻の航路が、姿を現します。
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いつか、その先、上方まで、航路が再びつながる日は来るのでしょうか。
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by future-scape | 2013-12-03 16:23 | 伊吹島 ご案内